MGL~エッセイ~

MY GARDENに関する雑文

ヒヨドリの訪問

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子供の為に実のなる木を植えました。やがて子供が大きくなって ままごと遊びなどしなくなると、待ってました、とやってきたのは ヒヨドリでした。ご近所には大きなピラカンサやカナメモチの木が あるというのに、庭の南天を捕りに来るのです。

ヒヨドリはなかなかにぎやかなお客さまです。 庭に来る鳥の中ではいちばん大きいのに、エラソウに「どけどけ」と 言って、すずめを追い払って、私の中では印象が悪い鳥です。そんな ヒヨドリを窓のレースのカーテンの越しに1m足らずの距離から こっそり見てやりました。南天に止まってせっせと実をついばんでいます。 小首を傾げるしぐさの可愛らしいこと。「なんだ結構かわいいじゃないの」 と見直しました。

また、このお客さまは、お土産をたくさん持ってきてくれるのです。

フンに混じって運ばれてきた植物が、芽を出し、自然に庭の緑を増や してくれるのです。その数は、数え切れないくらいで、場所によってはある 程度まで大きくして何の木か見当がついたら、引き抜いてしまいます。その まま育てているものでは、山椒があります。筍の木の芽あえをするたびに、 「これはね~鳥がね」と春の食卓の話題になります。他には、ピラサンサや 柘榴らしき木も残しています。花が咲いたり実がなるのはずっと先のことな ので、実際、何の木かよくわからないのですが育てているのです。タネを運 んできたヒヨドリのずっと先の子孫が食べることになるのでしょうか。

庭に何を植えるか

15年程前、私の庭は、何も植わっていなくて、駐車スペースには舗装しやすいようにぎっしり小石が敷かれていました。今ならこんなふうにしたい、あんなふうにしたいと、具体的にデザインを思い描くことができますが、当時は「子どもと一緒に遊べる庭がいいな」という漠然とした理想しかありませんでした。株を分けてもらったり、植木市で苗木を買う時に いつも思ったことは、「この植物で遊べるかな?」でした。 その結果、実のなる木や小さな花がたくさん咲く木、などが選ばれました

苗木は大きくなって子どもが5歳くらいになると花を咲かせ、実をつけ、ままごと遊びの材料になりました。祖母の庭からわけてもらったハランをお皿にして、花の汁で色水を作ってジュースの代わりにしました。部屋の中でカラフルなままごとセットで遊ぶより、子どもは庭で遊ぶほうが好きでした。理想の庭に近くなったといえます。

田舎育ちの私は草花でよく遊びました。シロツメクサの花輪。笹飴。すずめのてっぽう、タンポポ、からすのえんどうの笛。笹舟。タンポポの水車。ソテツの手裏剣、虫かご。ススキの矢、ミミズク。オシロイバナの白粉。ホウセンカのマニキュア。どんぐりの笛、コマ。下校時に歩きながらそんな遊びをしたものです。子どもにもそんなふうに遊んで欲しいと思いますが、草花遊びの材料となると、簡単に手に入りません。まだ水田が少し残るこの地でも、野草の種類は限られ、年々減るばかりです。

今高校生の娘が小学生の頃は数珠玉やアカマンマの生えてる秘密の場所、というのを知っていて、時々持って帰っていましたが、もうその場所は舗装されて駐車場になっているそうです。子どもと一緒に遊べる庭にしたいという理想を持ちつづけるなら、これからは、雑草と呼ばれ嫌われている植物を保護しなければならない、そんなことになってきました。

草花で遊ぶ

3月の終わりになると、雪柳が咲き始めます。この花を一枝か二枝手折り、リースにします。細い針金などがあれば簡単にできます。雪柳のリースにレンゲやパンジーなど咲いている花を摘んで挿していきます。花の冠をつくるのです。

なんでも好きな花をとっておいで、と子供に言いますと、子供はたいてい遠慮します。なんとなく咲いている花をとることにためらいがあるのですね。そこで、私は花をとる時のルールを決めています。たくさん花がある時は満開の花をとってもいい。少ししか花がない時は盛りを過ぎた花をとる。蕾はとらない。野草をとる時は自分が使うぶんをちょっとだけ。遊びおわった草花は土に戻す。などです。子どもが花をとってきた時はその名前を教えてやります。特に雑草と総称される道端の草花の名前はこんな機会に教えてやりたいと思います。

雪柳のリースができたらピンで頭に留めてやると子どもが喜びます。花冠をかぶって嬉しそうな笑顔の写真がアルバムにいくつも残っています。かわいいかわいい、と親バカぶりを発揮しますと、子どもはその花冠を頭に載せたまま、買い物について行くと言ったりして、ちょっと困ったことになるので、程々にしておきます。

植物を手折ろうとすると、かわいそう、と言われることがあります。高嶺の花や保護区での採集はもちろんいけません。また、どこであっても根っこをとることは控えたほうがいいと思います。しかし、身近にある植物はただ愛でるだけでなく、一緒に仲良く遊ぶほうが、植物を知ることになり、ひいては自然を知ることになのではないかと思います。

もうすぐ春

以前は冬の屋外は全く花がない状態でした。さざんかや椿もなく、常緑の木も少ない私の庭は冬はほんとに何も見るべきものがありませんでした。

今はポット苗で買ってきたパンジーユリオプスデージーなど寒さに強い花が植わっていますが、それでも、やはり寂しいことに変わなく春が待ち遠しくてしょうがありません。

待ちに待った春がもうすぐそこにきてるよ、と教えてくれる花には、やはり特別な思い入れがあります。

私の庭でその役目をしてくれるのは、可憐で清楚な水仙の花です。毎年ひな祭りにはこの花が咲いていて、桃の花と一緒に生けます。ハサミを入れてますと、水仙のいい香りがして、ああもうすぐ春だな、と感じるのです。

実は、この花は我が家に1番先に根を下ろした花です。今の家に引っ越してきた時、何もないのは寂しいだろうと母が実家で野生化していた水仙(上の画像)を蕾が付いたまま掘りあげて、持ってきて植えたのです。厳寒期の植え替えは水仙にとっては酷なことですが、立派に花を咲かせました。

私は慣れない土地で暮らしていく不安を抱えていましたが、励まされたような気がしたことを憶えています。

水仙はその後15年間で増えつづけ、毎年、その香りでもうすぐ春だよ、と知らせてくれています

狭くても庭

私の庭は「庭」と呼ぶにはあまりにも狭いのですが、ベランダのプランターひとつでも植物が安らぎを与えてくれるなら、庭と呼んでもいいのではないかと思うので、私のお気に入りのあの場所を(わずかな植栽スペースですが)庭と呼んでいます。

漬物樽やさかなのトロ箱に植えられた花にでも私たちは感動することができます。それが、レンガ積みの花壇だったり、デッキにおかれたテラコッタの鉢だったりすると、もっと感動するでしょう。ガーデニングブームは町の景観を変えました。ママチャリでの買い物帰り、ちょっと遠回りして新興住宅地を通り抜けるのは私の楽しみのひとつです。色とりどりの花、工夫された植栽。新しい園芸品種。園芸資材。さながら見本市のような様相で飽きることがありません。

翻って、わが庭は、なんと、とりとめもなく雑多な植物が無計画に植わっているのでしょう。冬の間に計画を立てても、如何せん、どこに何が植わっているか、私自身把握できていないため、春になって「あれ、こんなところにチューリップ植えたっけ?」ということになってしまうのです。

いつのころからか、雑誌に出てくるようなおしゃれな庭は諦めました。子供のおもちゃが転がっていたり、洗った上靴が木の枝に引っ掛けてあったりする庭でいいと思うようになりました。自分のライフスタイルに合わないガーデニングはシンドイですから。幼い子供が思う存分土遊びができるようにと、可能なかぎり土を残しました。

その結果として、草むしりの大変さと引換えに私が得た様々な出来事についてかきとめておきたいと思います。